キツい時に考えること
人間誰しも、自分の興味関心がある分野以外の話っていうのは、
それはもう気まぐれな猫のようにスルッと頭を通りぬけ、
まるで何も残らないものでございます。
こういった自分が興味を持たない話を「強制」されると、
防衛本能が働き、今度は強烈な眠気に襲われたりするわけです。
しかし、「後で議事録書けよ」とか、「報告書にまとめろよ」とか言われると、
なんとしてでも起きていなければならないわけだけどすごく眠いという、
生き地獄を体験することになるわけでございます。
それでも眠気に抗えず寝る。にんげんだもの。
で、断片的に記憶に残っている情報をかき集め、
ノートに残された自分で書いたにも関わらず解読不能な謎の文字の羅列から
なんらかしらの情報を抽出しようとする作業が始まるわけだが、
そうして完成した成果物は提出に耐えるものではなく、
どこに逃げたらいいのかわからない。そんな状態に陥るわけです。
では、我々はどうしたらいいのか?
ポジティブシンカーの方なんぞに言わせると、
「世の中につまらないことなんてない!興味を持とうとすればいいのさ!」
とか、起きてる癖に寝言をほざきやがるので、
そういう輩には、録った本人以外面白くもなんともない
「ウチの息子自慢!」みたいなホームビデオとか、
小学校高学年くらいの坊やが書いた冒険活劇長編マンガとか、
ほんの少しの事実に誇張を加え、虚飾でコーティングし、
さらに虚栄心を追加することによってオーバーな表現になることで
よりウザくなるオバハンの自慢話的なものを全部ミックスしたような
アレな情報を24時間ぶっ続けて与えた後も同じことが言えるのか?ああん?
的な感じで潰す。
「レッドブルキメた!」とか「もう今日、コーヒー○○杯目だよー!」とかいう、
「眠いけど頑張ってる自分えらい!」的な人には、
「お前、それ言いたいだけだろ?そうなんだろ?聞いてる側は全然おもしろくねーから。ぜんっぜんおもしろくねーから!」
って言って潰す。
で、何が言いたいのかと申しますと、
結局のところ、自分の問題は自分でどうにかするしかないってことである。
よく考えてみてほしい。
誰かに何かを相談した時に返ってくる回答のほとんどは、
「そういうこと聞いてるんじゃないんだよ!」とか、
「そんなことはわかっているんだよ!」のどっちかではないでしょうか?
よく「相手の立場に立って物事を考えろよ!」とかキレイごと言う人がいますが、
なんで相手の立場で考えられないかって言ったら、
そりゃ興味のない相手のことなんてどうがんばっても想像できねーよってことで。
「相手の立場に立って考えろ」っていうのは、
「人間としての相手」ではなくて、例えば仕事で役割を与えられた状態、
「パン屋さんのカウンターで働く人の気持ち」であって、
「パン屋さんのカウンターで働いているAさん自身の気持ち」
ではないわけだと思うのですよ。
そういうことなので、「誰か助けて!」なんて考えている暇があったら、
自分で何とかする方法を考える方がいいよってことです。
西尾維新的に言うところの、「助けたんじゃない。君が勝手に助かったんだ」
ってやつだと思うわけですよ。
で、このエントリが何かというとただの現実逃避ですね。
この時間、僕は何も進めることができていないっていうアレだ。
そう、アレだ…。