そうしょくにっき

草食な日記です

「褒める指導」は万能じゃないですよね

「褒めて伸ばす」という指導方法を礼賛することに疑問をもっていて。

 

あれっていうのは、褒めることによって成長意欲が向上し、さらに上のステップを目指していこうと思う人にはいいと思うんです。

 

だけどさ、これは僕の体感なんで全般はどうか知らないんだけど、褒めることによって満足して「これでいいんだ」って思う人の方が圧倒的に多いと思っているわけなんです。

 

「これでいいんだ」と思われてしまうと、「次のステップ」を要求した時に、「前回はここまでやれば褒めてくれたのになんで?」って拗ねるわけじゃないですか。成長意欲がある人にしても、一定のラインまでは上がるかもしれないけど、一定以上のところにいくには相応の労力というか努力というか、時には自身のパラダイムシフト的なものまで要求されるケースがほとんどだと思うんです。そこまでいくとつまずくよね。そして徐々に腐っていくよね。

 

その辺のさ、「褒める指導」が効かない人に対する対策って、自己啓発書とかからは完全に抜けていると思うわけで。本当に需要あるのは「効かない人」への対策だと思うんだけど、それがなかなか語られないのは、「褒める指導」みたいに汎用的じゃなくて、ケース毎に対応方法が違って十把一絡げには語れないからだと思うんですよね。

 

難しい問題ほど体系化できないもんだと思いますよ。

えらい人のありがたいおはなし

昨日聴いた講演から感じたことでも。

よくえらい人の講演ってあるじゃないすか。

過去にすばらしい実績がある人。

 

そういう人が「私はこうやったからうまくいった!みんなもやるといいよ!」

みたいな話するのってすげーズレてること多いよねっていう。

 

いや、仮説、実行、検証のサイクルをちゃんと回して、その結果がこうだったから、

こうやったことでうまくいったんですよ。ってのは別ですけど、単なる体験談ってあるでしょう。

「私の信条」とか、「こういう考えでやった」みたいなの。

 

全否定するわけじゃないんですけど、そういうのって成功との因果関係あるのか?って言うと、

ぶっちゃけほとんどないと思うんですよね。

よくアスリートなんかだと、「良い選手が良い指導者になるわけではない」っていうのがありますが、

それは仕事においても一緒だと思うんですよね。

 

しかも、アスリートの場合は個人の評価って比較的わかりやすいと思うんだけど、

仕事の場合って、本人の実力以上に周囲の環境とか、一緒に仕事した人とか、

市場の成長率とかまぁ、色々な要因が大きいわけで。

 

だから、俗に言う「業務改革」みたいなやつで、検証までのプロセスをしっかり経たものは、

それなりの説得力があると思うんだけど、あまり業界が成熟していない時代に

活躍した高齢のおえらいさんの体験談って、大体そういうのないでしょう?

 

過去の名経営者にケチつけるわけじゃないけど、

そういう人たちは自分たちではなくて、周囲の人が検証をしているわけじゃないですか。

「あの人のやったこういう事が成果につながった」的な。

自分の体験談的な主観評価とは全然違うわけで。

 

ひどい言い方すると、老害講演みたいな表現になってしまうのですが、

こういうの運営側で担ぐのやめてもらいたいなぁと思うわけです。

余裕を取り繕うことはできない

厳密に言うと、黙ってれば大丈夫かもしれないけれど、

口を開くともう無理だよね。とか思うわけです。

 

ゆっくりと落ち着いて話したりすれば、少しはそれっぽく見えるかもですが、

なんといいますか、絶妙な間の取り方とか、状況に応じて声のトーンを変えるとか、

そういうのって表面的に工夫してどうこうって問題ではないと思うのですよね。

 

過去の小さな経験の積み重ねと、いくつかの自分の中における転換期といいますか、

パラダイムシフト的なものを経てようやくって気がするわけで。

 

別に何が言いたいかってわけでもないんですけど、

「人生一発逆転ホームラン!」みたいなものを狙うよりかは、

毎日を誠実に生きて言った方がいいのかなーとか感じたわけです。

指示伝達の難しさ

指示伝達っていうのは粒度がありまして、

抽象度が高くても理解してくれる人に指示を出すのは楽だし、

逆のケースの場合は色々と面倒くさい。

 

もちろん、類似ケースの経験を蓄積することによって、

指示を受ける側の経験値が溜まり、抽象度を上げても理解してくれるようにはなる。

 

ただ、それって個人の能力差というか理解度というか成長スピードみたいなものと、

根本的な基礎スペック、あと意識レベルの高低とか色々な要素が絡み合うわけで。

 

で、「意識を高く持て!」みたいな指示っていうのは、

「とにかく売上を上げろ!」と同じくらいダメな言い方で、

具体的にどうすればいいのか聞いた側は全然わからないわけです。

 

だから、理解度に合わせて作業レベルまで指示して、

且つ、報告のタイミングまで指定してあげないといけない。

 

ところが、ここまでやっても「やってもらえない」ということがザラにある。

「責任感の欠如」という理由だけでは片付けられない何かがきっとあるんだと思う。

でも、それが何かが全然わからない。きっと個人によって違うんだと思う。

 

人のマネジメントがうまい人はきっとこういう所がうまいんだろうなと思う。

別れの季節

年が明けたと思ったら、あっという間に1月が終わろうとしておりますね。

高校生の皆さまなんかはセンター試験も終わり、

これから本当にラストスパートな感じでございますね。

 

学生の皆さまの卒業式が3月だと思いますが、

会社を辞める人なんかは有給消化の都合なんかで、

ボチボチ辞めていくという人も出てきてらっしゃいますね。

 

しかしアレだ。小学生の時なんかは卒業式で、

「楽しかった修学旅行!(修学旅行!)」

みたいなのをやらされたわけですが、会社ってそういうのないよね。

 

まぁ、年次で去っていくわけではないから(定年退職除く)、

そういうのないのは当たり前かもしれないけどさ、

やっぱり一区切り付けて、去る人も残る人もスッキリとした気持ちで

新たな一歩を踏み出すために社会人バージョンがあってもいいと思うの。

 

 

「皆さんは大勢の中から選ばれて入社し…(テンプレート!)」

 

「お名前伺えますか?吉田様ですね!(石田です!)」

 

「はい!その件につきましてはすぐに対応いたします!(無理!)」

 

「盛り上がった!忘年会!(大乱闘!)」

 

「えー、それでは乾杯の挨拶を常務から…(長い!)」

 

「えー、それでは中締めを専務から…(つまらない!)」

 

「では最後に一本締めで…(合わない!)」

 

「二次会行くひとー!(行かない!)」

 

「後輩への新人教育!(ドヤ顔!)」

 

「俺の背中を見て仕事覚えろよ!(始末書!)」

 

「数字を一桁間違えた!見積書!(始末書!)」

 

「部長のポッキー食べたの誰だ!(始末書!)」

 

「手に汗握る緊張感!(決算会議!)」

 

「3期連続で予算未達とは!(決算会議!)」

 

「どうなってるんだ!(決算会議!)」

 

「えー、○○部長は子会社へ出向となった。(決算会議…?)」

 

「5年経っても続いてる同期会!(誘われない!)」

 

「えー、私事ではありますが。(同期のデキ婚!)」

 

「グローバルなオポチュニティが…(楽天!)」

 

 

立つ鳥跡を濁さずということで、スッキリと新たなライフステージへ

旅立てること請け合いですぞ!

 

※この記事はフィクションです。

ダメ上司対応メソッド

ダメ上司の得意技、というかこれしかやらない人もいるが、

多様するのは「丸投げ」である。

これはレポートラインの上流から降りてきた指示を自身で咀嚼せず、

もとい、「できず」のパターンの方が多いのだが、

その指示をそのまま部下に投下するパターンである。

 

この場合、部下はその振られた仕事を「正解」の成果物を作ることは

ほぼ無理と言っていい。

なぜなら、レポートラインの階層はそれぞれ保有している情報量や

情報の性質が異なるからである。

 

上流にいけばいくほどマクロ、下流ほどミクロ。

だから上から降りてきた指示は、基本的に抽象度が高い。

だから部下に落とす際には、その部下に「何を求めるか」

という具体化した指示が必要になるわけである。

この「具体化作業」をやらない。もとい「できない」となると、

抽象度が下がらないまま振られた指示では何をしていいのかわからない。

なぜなら、「判断するだけの情報がないから」である。

 

 

で、ここからが本番になるわけですが、

だからといってその仕事を放棄することはできないわけです。

会社ですから。

やらないといけないわけです。

 

まともな上司の場合、部下に考えさせてやらせるには

どのくらいの抽象度がいいか?をコントロールするので、

部下は上司の意図を汲んで、熟考した上で着手する必要がある。

 

だけどダメ上司の落としてきた抽象度の高い内容については、

「深く考えずにとにかくなんかやる」

これしかない。

 

で、やったものを提出すると、大概のダメ上司はダメ出しをする。

「なんとなくダメな気がする」みたいな根拠のないダメ出しをする。

部下から見ても、「おまww それないわwww」レベルのダメ出しをしてくる。

 

だがそれに反論してはいけない。

言われた通りに直す。

その結果、会社に不幸な結果が訪れたとしても、そのまま直す。

まぁ、直しても大体の場合は追加のダメ出しが入るので、

それを何回か繰り返すわけですが、最終的には何かできる。

よくわからないものができる。

これで完了である。

 

いや、そんなふざけたものを出すなんでおかしいだろ!と思う人が

大半だと思いますが、そこで上司とバトっても意味ないです。

 

もとい、まともな上司なら主張を聞いてくれるでしょうし、

理屈が通っていれば「おお、そうだな」と言って修正してくれるでしょう。

 

ただ、今相手にしているのはダメ上司だ。

いいか?ダメなんだ。ダメってことはダメなヤツってことなんだ。

赤ちゃんに理屈説いても通用しないのと一緒なのである。

 

そう、そんな無駄なことにエネルギーと時間をかけてはいけない。

人間の使える時間とバイタリティは有限なのだから。

キツい時に考えること

人間誰しも、自分の興味関心がある分野以外の話っていうのは、

それはもう気まぐれな猫のようにスルッと頭を通りぬけ、

まるで何も残らないものでございます。

 

こういった自分が興味を持たない話を「強制」されると、

防衛本能が働き、今度は強烈な眠気に襲われたりするわけです。

 

しかし、「後で議事録書けよ」とか、「報告書にまとめろよ」とか言われると、

なんとしてでも起きていなければならないわけだけどすごく眠いという、

生き地獄を体験することになるわけでございます。

 

それでも眠気に抗えず寝る。にんげんだもの。

で、断片的に記憶に残っている情報をかき集め、

ノートに残された自分で書いたにも関わらず解読不能な謎の文字の羅列から

なんらかしらの情報を抽出しようとする作業が始まるわけだが、

そうして完成した成果物は提出に耐えるものではなく、

どこに逃げたらいいのかわからない。そんな状態に陥るわけです。

 

では、我々はどうしたらいいのか?

ポジティブシンカーの方なんぞに言わせると、

「世の中につまらないことなんてない!興味を持とうとすればいいのさ!」

とか、起きてる癖に寝言をほざきやがるので、

そういう輩には、録った本人以外面白くもなんともない

「ウチの息子自慢!」みたいなホームビデオとか、

小学校高学年くらいの坊やが書いた冒険活劇長編マンガとか、

ほんの少しの事実に誇張を加え、虚飾でコーティングし、

さらに虚栄心を追加することによってオーバーな表現になることで

よりウザくなるオバハンの自慢話的なものを全部ミックスしたような

アレな情報を24時間ぶっ続けて与えた後も同じことが言えるのか?ああん?

的な感じで潰す。

 

レッドブルキメた!」とか「もう今日、コーヒー○○杯目だよー!」とかいう、

「眠いけど頑張ってる自分えらい!」的な人には、

「お前、それ言いたいだけだろ?そうなんだろ?聞いてる側は全然おもしろくねーから。ぜんっぜんおもしろくねーから!」

って言って潰す。

 

で、何が言いたいのかと申しますと、

結局のところ、自分の問題は自分でどうにかするしかないってことである。

 

よく考えてみてほしい。

誰かに何かを相談した時に返ってくる回答のほとんどは、

「そういうこと聞いてるんじゃないんだよ!」とか、

「そんなことはわかっているんだよ!」のどっちかではないでしょうか?

 

よく「相手の立場に立って物事を考えろよ!」とかキレイごと言う人がいますが、

なんで相手の立場で考えられないかって言ったら、

そりゃ興味のない相手のことなんてどうがんばっても想像できねーよってことで。

 

「相手の立場に立って考えろ」っていうのは、

「人間としての相手」ではなくて、例えば仕事で役割を与えられた状態、

「パン屋さんのカウンターで働く人の気持ち」であって、

「パン屋さんのカウンターで働いているAさん自身の気持ち」

ではないわけだと思うのですよ。

 

そういうことなので、「誰か助けて!」なんて考えている暇があったら、

自分で何とかする方法を考える方がいいよってことです。

 

西尾維新的に言うところの、「助けたんじゃない。君が勝手に助かったんだ」

ってやつだと思うわけですよ。

 

 

で、このエントリが何かというとただの現実逃避ですね。

この時間、僕は何も進めることができていないっていうアレだ。

そう、アレだ…。